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Zaim閑歳孝子
閑歳孝子さんは、28歳からプログラミングを本格的に始めました。
30歳近い年齢でプログラミングを始める方を自分は閑歳孝子さん以外に知りませんw
しかも、その後会社に勤めながらプライベートで開発していた家計簿サービスZaimが大ヒット。出資を受けて起業し現在に至ります。
閑歳孝子さんは、高校生の頃からネットが好きでハマっていました。
私はとにかくインターネットがすごく好き
引用:フェイスブックより早い学内SNSって?? | 大企業よりもスタートアップ
高校生のときに、自分でパソコンを買ってから“ドはまり”
引用:「社長になるなんて1ミリも思わなかった」Zaimの閑歳孝子さん
大学生の頃(SFC在学中)には、SNSの立ち上げに携わるなんてこともしていました。
仲:慶應のSFCって早い段階でSNSがあって、閑歳さんがそれを作ったそうですね。
閑歳:そうそう、2000年頃でしたね。今、うちの会社の取締役をやっているエンジニアと、彼を含めた4人で作りました。
引用:フェイスブックより早い学内SNSって?? | 大企業よりもスタートアップ
立ち上げたSNSは、学内でたちまちヒットしたようです。
いまのSNSのようなコミュニティサービスで、授業情報などを共有できました。例えば、そのサービスを使って、ある講義で「今から出欠を取ります」っていわれたら、授業に出席している子が他の受講者に一斉同報するような機能を備えていました。コミュニティ機能や、いまのTwitterのような機能もあり、すぐに大学内のほとんどの学生が使うようになったんです。
引用:「社長になるなんて1ミリも思わなかった」Zaimの閑歳孝子さん
そんなネット中心の大学生活を送っていたこともあり、就活では当時(2000年)渋谷界隈に集まるネットベンチャー企業も受けていました。
当時の渋谷はインターネット系のベンチャーが集まってきて、ビットバレーって言われていた頃です。様子を知るいい機会だと思って、受けました。
最終的には意外にも出版社への入社を決めます。
仲:でも結局、出版社を選びましたよね。なぜですか?
閑歳:インターネットが好きだからってインターネットの会社にそのまま入ると、自分にはそれしかバックグラウンドがなくなってしまうのではないかと心配したからです。
そして、出版社に入社後は、web担当を希望していたものの叶わず、記者としてネット関連の記事を書く仕事をしていたようです。
日経BPでは、通信業界を取材していました。電波の波長を解説したりしていましたね。
引用:「社長になるなんて1ミリも思わなかった」Zaimの閑歳孝子さん
出版社でもWEBサービス部門を希望していましたが、記者にとして配属された
引用:株式会社Zaim 閑歳孝子 家計簿アプリ『Zaim』を1,000万DLに!
しかし、そんな仕事をする中でweb業界への興味は捨てきれず出版社での記者生活を3年半で辞め、25歳で転職をします。
——ウェブ業界へ転職されたきっかけは?
やっぱり、通信やウェブ業界には興味があって、いつか何かやりたいと考えていました。そんなときに、たまたま大学の友だちがやっているベンチャー企業に誘ってもらえて、25歳からウェブ業界に転職しました。
引用:「社長になるなんて1ミリも思わなかった」Zaimの閑歳孝子さん
GREEやmixiが出てきて、ネットがさらに面白くなってきた。やっぱり私はインターネットが大好きで、記事を書く仕事を続けるより、自分で何かそういうサービスを作る仕事がしたいという気持ちが強くなりました。
そんな思いを胸にweb業界に転職したもののプログラミング経験はもちろん、全てが未経験だったため最初はスケジュール管理などの仕事が中心でした。
初めは、何もできなかったので、スケジュールや人の調整などのディレクションをしていました。
引用:「社長になるなんて1ミリも思わなかった」Zaimの閑歳孝子さん
閑歳孝子さんは、次第に社内のエンジニアに質問をしてプログラミング能力を習得していきました。
周りにいる優秀な人たちにいろいろ聞いて、なるべく自分で手を動かしてやるようにしましたね。それで、だんだん自分でも人のやったことの直しくらいはできるようになりました。
そして、遂にプログラミングで自分の作りたいwebサービスを作ることができるようになったのでした。
25歳で出版社からweb企業に転職をしてから3年目の28歳のときでした。
そのうちに自分でプログラミングを書くようになりました。なんとか自分で作れるようなってきたのは、たぶん28歳ぐらいだったと思います。
引用:「社長になるなんて1ミリも思わなかった」Zaimの閑歳孝子さんに聞く
自分の中で完結して作れることがことが本当にうれしくて、色々作っていました。
引用:「社長になるなんて1ミリも思わなかった」Zaimの閑歳孝子さん
プログラミングができるようになった閑歳孝子さんは、会社での開発だけでなく自分個人でも作りたいwebサービスを作り始めます。
3年くらい経って、初めて個人名義でWEBサービスも作りました。携帯電話で撮影した写真をその場で共有して、スライドショーにするサービスでした。
作りたいサービスを作れるほどプログラミングスキルがついてきた一方で、当時はエンジニア職ではなかったので簡単なプログラミングの修正の仕事しか取り組めていませんでした。
そこで、「エンジニア」として転職することを決意します。
閑歳:そうしていくうちに、自分で一から作りたい、もっと勉強したい、技術を学びたいという思いがますます強くなって。そんなときに、これから起業するという人に偶然、会う機会があって、1人目の社員として入社しました。
仲:3社目ではいよいよエンジニアとして入社ですね?
閑歳:そうですね、今度はついにエンジニアとしてプログラミングも書くようになりました。
実は、閑歳孝子さんは「エンジニア」として転職するための実績作りとしてプライベートでwebサービス開発をしていた点が大きかったと振り返っています。
会社の仕事を続けながら、友人とWebサービスを開発。それで実績ができたので、企業でのエンジニアとしての職務実績は十分ではありませんでしたが、3社目の株式会社ユーザーローカルにエンジニアとして採用してもらえたのだと思います。
引用:株式会社Zaim 代表取締役 閑歳 孝子(かんさい たかこ)さん
25歳プログラミング未経験からでも働きながらスキルを身につけ、プライベートでも開発をする意欲さえあれば、エンジニアとして採用されることも十分に可能ということですね。
そして、閑歳孝子さんはエンジニアとしてユーザーローカルというアクセス解析サービス会社へ転職をします。
ユーザーローカルの伊藤将雄社長は、「みんなの就職日記」などの多くのwebサービスの開発者でもあります。
そんな伊藤将雄社長の元でエンジニアとして働きたいと閑歳孝子さん自身が強く望んで転職が実現したようです。
お会いして衝撃を受けたというか「あ、こんな人、世の中にいたんだ」みたいな感じでした。伊藤さんのもとで学びたいな、自分の力が発揮できるんならやってみたいなと思って、そのまま転職しました。
引用:「社長になるなんて1ミリも思わなかった」Zaimの閑歳孝子さんに聞く”ジョブチェンジ”する働きかた
転職は大成功でユーザーローカルのエンジニアとして楽しみながら勉強できたようです。
3年半、ずっとそれをやってましたが、本当にすごく楽しくて、勉強になりました。
引用:「社長になるなんて1ミリも思わなかった」Zaimの閑歳孝子さんに聞く”ジョブチェンジ”する働きかた
そして、ついにこの頃、平日の夜や休日に個人で「Zaim」の開発を始めます。
『Zaim』は、開発を始めてからリリースまで大体4~5ヶ月ぐらいです。
平日に仕事が終わるのが大体20時位で、そこから家の近所のカフェに行って2~3時間ほど開発、土日はほぼずっと作業という生活でした。あとは通勤時間の電車の中でも開発していましたね。
引用:会社を辞めずに夢を追う方法―Zaim 閑歳孝子“プライベート開発のすすめ
2011年頃から個人で一般ユーザー向けのアプリ開発もはじめました。
引用:リレーエッセイ Vol.119 閑歳 孝子さん|オデッセイ コミュニケーションズ
32歳のときに会社勤めをしながらプライベートで「 Zaim 」の開発を始めた
引用:アプリ開発会社の社長はバリバリの理系プログラマーなのか?/ Zaim 株式会社 閑歳孝子さん│mazecoze(マゼコゼ)研究所
「Zaim」とは、レシートを撮るだけで家計簿を自動でつけてくれるサービスです。
家計簿を始めても面倒で続けられなかった方でも簡単に続けられると評判です。
当時(2011年)急速に普及し始めたスマホにより今までネットを使わなかった人でも使える家計簿サービスは流行るのでは?と思い家計簿サービスの開発を決めたようです。
これからスマートフォンを持つような、必ずしもネットやITが得意でない人でも使うサービスとして家計簿はあり得ますし、誰でも簡単に使えるものならばニーズはあるはずだと。
引用:UIやUXのデザインセンスを磨きつつ、名刺代わりのアプリ公開がビジネスチャンスを切り開く
2013年 zaimのサービス説明をする閑歳孝子さん
この狙いが当たり、サービス開始直後からユーザー数は急速に伸び、リリースしてから2年後の2013年10月には早くもユーザー数が100万人の大台を突破しています。
Zaim は最近ユーザ数が100万人を超え、来年には200万人に届きそうな勢い
引用:ユーザ数100万人を超えたZaim、創業者 閑歳孝子氏に聞いた家計簿アプリのこれから
さらに、近年IT業界で大きく注目されているフィンテック(金融とITを組み合わせた新しい産業)としても大注目されていいるZaim。
今後もさらなるユーザー数の増加や多彩な機能追加が見込めます。
日本経済新聞電子版の「フィンテック、スタートアップの素顔」に Zaim 代表閑歳のインタビュー記事が掲載されました。
引用:日経電子版に Zaim のインタビュー記事「フィンテック、スタートアップの素顔」が掲載
女性エンジニア

IT企業に勤務している女性は増えていますがそのほとんどがディレクターやプロデューサーと呼ばれる非エンジニア職です。
しかし、IT企業が女性エンジニアを求めていないのか?と言うと全くそんなことはなくむしろ、女性向けサービスなどを開発している会社は女性エンジニアが喉から手が出るほど欲しいのが現状です。
事実、ここ数年で女性エンジニアを積極的に採用している企業が増加しており、女性エンジニアの数も上昇傾向にあります。
近年、女性の比率が急増しているのがウェブサービスやゲームなどインターネットに関するビジネスを手掛ける「ウェブ系」と呼ばれる業界だ。
引用:20代の「エンジニア女子」が絶対やるべきこと | WORK AGAIN | 東洋経済オンライン
ディレクターやプロデューサーと聞くと、企画を考えてアイディアや発想が求められる職種と思われがちです。
人気IT企業のサイバーエージェントもディレクター職の採用を行っているようですが、採用試験の内容はアイディア力や発想力を問われる質問ばかりです。
サイバーエージェント新卒採用試験【プロデューサー採用②】
しかし、ここだけの話、ディレクターやプロデューサーになりたい場合こそプログラミングを学ぶべきです。
なぜなら実際に職場で働いていると、いくらアイディア力や発想力が優れていても企画を実現するためのフェーズでは、その企画をどのようなプログラミングの実装でどんな技術を使い、どれくらいの時間で完成できるのかなどなど、プログラミングの知識がないとわからないことだらけで見当はずれな見積もりを出してしまい現場に混乱をもたらすだけだからです。
なのでプログラミングができない or わからない ディレクターやプロデューサーから無理難題を指示されるプログラマーから正直に言えば、プログラミングができないディレクターは間違いなく使えないです。
だからこそプログラマーを目指さないディレクターやプロデューサーでもプログラミングができれば、自身の市場価値は大きく跳ね上がり年収もプログラミングができないディレクターやプロデューサーよりも遥かに高額なオファーが届きます。
堀江貴文さんが社長の頃のライブドアのディレクターは皆、プログラミングができたと聞きました。
その名残か、2008年頃のライブドアの求人には、「ライブドアのwebディレクターに、エンジニア経験が必要」としっかり明記されています。
引用:Webディレクター(129138)|株式会社ライブドア(NHN Japanグループ)の転職・求人情報
女性のキャリアパスを考える上で避けて通れないのが「結婚」「出産」です。
「結婚」「出産」を機になんと90%近い女性が仕事を辞めているというデータまであります。
「仕事を辞めた(妊娠を機に+出産を機に)」と回答した人が91.4%にものぼった。
残念ながら女性の再就職は非常に厳しいため、「結婚」「出産」を機に仕事を辞めてしまった場合は正社員でなくパートとして働くケースが多数のようです。
就業希望率が30歳代で最も高くなる一方,30歳代の再就職率は低く(第6図),希望と現実が大きく乖離している。
しかし、エンジニアであれば、再就職は容易なので「結婚」「出産」を機に会社を辞めたとしても正社員のエンジニアとして働くことができます。
最近では、会社に出社せずに自宅や好きな場所で仕事ができるリモートワークを許可している会社もあるので、自宅で育児をしながらエンジニアとして仕事もこなすというような働き方もできてしまいます。
働く場所を限定せず、自分の好きな場所でワークライフバランスを保ちながら仕事をする。ひと昔前では実現することは困難でしたが、いまではインターネットやツールの発達によってハードルが下がってきています。
引用:リモートで働くChatWorkのエンジニアに聞いた遠隔コミュニケーションのホントのところ
女性エンジニアのメリットは、あまり知られていないだけで数多くあります。
また、女性に人気のディレクターやプロデューサー職においてもプログラミングを学ぶことで周りに差をつけることができてしまいます。
閑歳孝子さんも女性エンジニアが活躍できる環境はあると断言しています。
女性だからといってエンジニアを諦める必要は全くありません。
女性がエンジニアとして活躍できる環境はあるので、もっと開発の面白さが伝わるといいのかなと思います。
引用:「社長になるなんて1ミリも思わなかった」Zaimの閑歳孝子さんに聞く”ジョブチェンジ”する働きかた
プログラミング 未経験

プログラマーと聞くと、平均年齢が若く25歳くらいの若者が多くを占めているイメージがあるかもしれません。
しかし、冒頭で記載したように閑歳孝子さんがプログラミングを本格的に始めたのは28歳の頃でした。
自分で作れるようなってきたのは、たぶん28歳ぐらいだったと思います。
引用:「社長になるなんて1ミリも思わなかった」Zaimの閑歳孝子さんに聞く
プログラミングは未経験からでも学ぶことは可能です。
実際にプログラミングを自分で書いてみると案外簡単だと思うでしょう。
事実、閑歳孝子さんも簡単にプログラミングができることを知りそれからプログラミングに取り組んだといいます。
「開発をしたいのはやまやまでしたが、技術的なスキルがないのでディレクターという役割でした。ところがその後、Ruby on Railsというプログラム言語が登場して、少ないコマンドでアプリケーションが作れるのを知り、『やりたい!』と思ったんです」
引用:いったんはあきらめた道。そこに起業の光が見えた【Zaim 閑歳孝子さん】
しかし、プログラミング自体は簡単なのですが、プログラミングを動かすために必要な開発環境と呼ばれるサーバー上の実行環境の準備がやや難しいです。
これについては、閑歳孝子さんもこう述べています。
閑歳 私が一番難しいと思うのは環境構築なんです。環境構築が乗り越えられなくてプログラミングができないということが私もありました。
引用:第一線で活躍するプログラマーが「どうやってプログラミングを学んだか」を語った!イベントレポート(その2) | TechAcademyマガジン
