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年収3000万は貧乏
秒速で1億稼ぐ与沢翼氏が年収2000万円だった頃。
とある若手起業家の集まるパーティーで聞いた一言が彼を驚かせました。
こんばんは。与沢翼です。
私が20代の頃、その当時ちょうど上場を果たした
先輩経営者が
「年収3000万円は貧乏」
という強烈な発言を、ある飲みの場でしていました。
上場するとずいぶんとおごってしまうんだなー、
まあでも持ち株評価で資産1000億とか超えれば
そういう感じにもなるんだろうな、と半分納得しつつも
ちょっと反感を覚えたのをはっきりと記憶しています。
当時の私は年収2000万ぐらい。
それでも自分は成功者の方だとは思っていたので、
そのように反感を覚えたのかもしれないですが。
ただ、今思うと、その起業家が言っていたことは
事実ですし、嫌味に聞こえようとどうであろうと
真実だと思います。
引用:与沢翼公式メールマガジン(12月4日)
「年収300万時代」なんて言われる世の中で、
「年収3000万円は貧乏」なんて、とある一人を除いては、誰が言っても嫌味にしか聞こえないです。
そう、こんな仰天発言を平気でしてしまうグリー 田中良和社長を除いては。。
社会人になってからプログラミングを独学

グリーは、ソーシャルゲームの会社であり、プログラマーを多数抱えるエンジニア集団でもあります。
そんなグリーを率いる田中良和社長ももちろんエンジニアです。
しかし、田中良和社長は、意外にも社会人になってからプログラミングを独学でマスターしたタイプです。
プログラミングの知識はありませんでした。
ところが、実際にできる人にちょっと教えてもらうと、一つステージを乗り越えるというんでしょうか、できるようになるんです。
教わったら意外に簡単。なんだ、できるじゃないか、と。その後はすっかり独学でした。
独学までしてプログラミングをマスターする大きな原動力になったのが彼の強い思いでした。
僕がやりたいのは、「世の中の役に立つサービスを作ること」。もっというと、「新しいサービスを作って世の中を変えていくんだ」という思いが強かった。
そして、プログラミングを独学したた田中良和社長は、身近な人とより楽しめるサービスを作りはじめました。2003年の秋でした。
しかし、開発は、難航します。。。
作るまでには数カ月かかっていますから、さすがにこの間は、心が揺れたのを覚えています。
あったらいいな、とは思うけれど、誰も使わないものになるかもしれない。
そんな中で、眠い目をこすりながら、貯金も減らしていくわけです。どうして自分はこんなことをしているのか。
不安になったり、迷ったり。しかも、ここまで作ったら終わり、というゴールも見えない。
まさか、このとき開発したサービスが当時月収20万円のサラリーマンだった田中社長を、
たった7年で2000億円の個人資産を手に入れ、フォーブズのアジアの若い富豪ランキングに掲載されるまでのサービス、
「グリー」になるなんて想像もできなかったでしょう。
しかし、世界的に見れば趣味で開発したサービスが大ヒットする例は、山ほどあります。
アメリカを代表するSNSであるfacebookも、snapchatも始まりは、趣味や遊びからでした。
PHPが「できないことはない」という確信をもたらした!

田中社長を最も成功に近づけた要因は、まさにプログラミングだったのではないでしょうか?
もしくは、社会人になってから未経験にもかかわらず、プログラミングを独学して、作りたいサービスを作ってしまう、そんなサービスへの強い思いでしょう。
また、田中社長は、過去にプログラミングに挫折をしています。
高校時代プログラムの習得に挫折した
しかし、PHPという比較的簡単なwebプログラミング言語をマスターしたころで、一気にプログラミングにのめり込んでGreeを一人で開発してしまいました。
PHPは、今でもソーシャルゲームの開発に使われており、プログラミング言語の中で覚えやすく、かつ需要も多いので就職・転職にも非常に有利です。
僕は文系出身ですがPHPというプログラミング言語が使えます。
プログラムを学んでからは、アイデアを何の妨げもなく直接カタチにできるようになりました。
この経験は自分に「できないことはない」という確信をもたらしました。
文系でも、未経験でもPHPを学ぶことで、一人で作りたいwebサービスを簡単に作れてしまうことはあまり知られていないかもしれません。
田中社長がPHPで人生を大きく成功させたように、あなたもPHPを学んで作りたいサービスを作り、人生を大成功させてみませんか?
